「タミヤ」のトップであり、模型文化を広めた田宮俊作氏が、2025年7月18日、90歳で亡くなりました。
田宮氏は、タミヤを世界で有名なブランドに成長させた優れた経営者。
同時に、模型を通じて子どもたちに夢と創造力を与えてきました。
この記事では、タミヤ会長の田宮氏の人生や業績、経営の考え方を振り返り、日本のものづくりと模型文化への貢献を見直します。
タミヤ会長・田宮俊作氏の訃報
「ミニ四駆の生みの親」として知られるタミヤ会長・田宮俊作(たみや しゅんさく)氏が、2025年7月18日に90歳で逝去されました。
1958年に田宮商事に入社した田宮氏は、1984年に株式会社タミヤを設立。
以降、タミヤを世界的な模型メーカーへと成長させました。
とくに「ミニ四駆」は世界中で人気を博し、子どもたちに“ものづくりの楽しさ”を伝える存在となりました。
また、プラモデルの高品質化や芸術性の高いボックスアートにも力を注ぎ、模型文化の発展に大きく貢献しました。
タミヤ会長・田宮俊作氏の基本プロフィール
田宮俊作氏の人物像や経歴を、簡潔に整理しました。
- 生年月日:1934年12月19日(静岡県静岡市生まれ)
- 学歴:1958年 早稲田大学法学部卒業
- 入社:1958年、田宮商事に入社
- 役職歴:1977年に田宮模型社長、1984年に株式会社タミヤ設立と同時に社長就任
- 代表的功績:
- 木製模型からプラモデルへの移行を推進
- ミニ四駆・RCカーの開発と世界展開
- 世界最高峰とされるボックスアートの文化確立
- 静岡ホビーショーの主催、模型の聖地・静岡の発展
- 著書:
- 『田宮模型の仕事』
- 『田宮模型をつくった人々 伝説のプラモ屋』
- 逝去日:2025年7月18日(享年90歳)

タミヤ会長・田宮俊作氏の経歴
田宮氏は生涯を通じて、模型づくりと向き合ってきました。以下はその足跡です。
- 1934年:静岡市で生誕
- 1958年:田宮商事に入社、木製模型の開発を担当
- 1962年:初のプラモデル「パンサー戦車」を発売
- 1968年:ニュルンベルク国際玩具見本市に初出展
- 1977年:株式会社田宮模型の社長に就任
- 1984年:株式会社タミヤを設立、代表取締役社長に
- 1994年:静岡模型教材協同組合理事長に就任
- 2017年:会長兼社長を兼務
- 2025年7月18日:逝去(90歳)
タミヤ会長・田宮俊作氏の主な功績と貢献
田宮氏の功績は、模型という枠を超えて、産業・教育・文化にまで広がっています。
プラモデル技術の革新
木製模型が主流だった時代に、いち早くプラスチックモデルに着目。
1960年代から精密な設計とリアリティを追求し、「品質世界一」と呼ばれる製品群を次々と送り出しました。
品質・正確さ・箱絵(ボックスアート)など、パッケージ全体の完成度にもこだわったことで、模型業界全体の水準を底上げしました。
ミニ四駆・RCカーの普及
1980年代に登場した「ミニ四駆」は、爆発的な人気を博しました。
その背景には、田宮氏の「子どもが安心して楽しめる模型を作りたい」という想いがありました。
また、RCカーやタミヤグランプリなどのイベントも開催し、模型を動かす喜びと、競技としての楽しさを広めました。
地域と文化への貢献
静岡模型教材協同組合の理事長として、静岡ホビーショーの開催を長年支援。
「模型の世界首都・静岡市」というブランドを確立し、地域経済の発展にも寄与しました。
その功績は国内外から評価され、2018年には文化庁メディア芸術祭で功労賞を受賞しています。
田宮俊作氏の経営哲学
田宮俊作氏のリーダーシップは、次のような信念に基づいていました。
情熱と実行力
「良いものを作るには、まず情熱が必要」という信念のもと、自ら開発現場に足を運び、現場社員とともに汗をかきました。
トップ自らが製品の完成度をチェックする姿勢が、妥協なき品質を支えました。
数字と冷静さの両立
「好き」だけでは経営は続かないとし、売上・コスト・顧客データなど、すべての情報を数値で把握。
課題を発見し、解決する力が、持続的な成長へとつながったのです。
顧客視点の徹底
購入後も楽しめる商品設計や、サポート体制の充実に力を入れました。
「売って終わりではなく、楽しませてこそ本物のモノづくり」という哲学が、世界中のファンの信頼を築きました。

まとめ
田宮俊作氏は、日本の模型業界に多大な功績を残しただけでなく、世界中のファンに夢と感動を届けた人物です。
その情熱、実行力、顧客へのまなざしは、今日のタミヤを支える礎であり、次世代にも受け継がれるべき価値です。
模型を通して人と人をつなげた田宮氏の遺産は、これからも世界中の“モデラー”たちの手で生き続けていくでしょう。
心よりご冥福をお祈りいたします。