北海道・苫小牧市を5期18年にわたって率いた岩倉博文元市長が、2025年4月18日、市内の病院で亡くなりました。75歳でした。
「たくましい苫小牧」をスローガンに、市政の安定と未来を見据えた政策を推進し続けた岩倉氏。
港湾整備やインフラの強化、産業誘致に加え、脱炭素社会に向けたCCS(炭素回収・貯留)技術や、国内最大級のデータセンター誘致にも尽力し、苫小牧の発展に大きく寄与しました。
本記事では、岩倉氏の経歴と市政での歩み、そして市民や道政から寄せられた追悼の声を通して、その人物像と功績をたどります。
苫小牧の顔、岩倉博文氏が逝去
元市長・岩倉博文氏が2025年4月18日、入院先の市内病院で亡くなりました。
地元に深く根ざした政治家の訃報は、市民に大きな衝撃を与えました。
市内病院で75歳にて永眠、突然の訃報
苫小牧市の発表によると、岩倉氏は2025年4月18日午前、入院していた病院でその生涯を閉じました。享年75。直接の死因については公表されていませんが、2024年に市長を辞任して以降、体調は万全ではなく、入退院を繰り返していたといいます。
市役所への連絡は同日午前に入り、市幹部の間でも「突然のことだった」という声が多く聞かれました。
体調不良から辞任までの経緯
岩倉氏は2023年、出張先の韓国・仁川空港で倒れ、心室細動による不整脈の疑いで緊急搬送されました。
一時は意識不明に陥るも、その後快方に向かい、2024年2月には一時的に公務に復帰。
しかし健康状態は完全には戻らず、2024年11月、5期18年の市長職から退任。
その後も療養生活を続けていた中での訃報でした。
鈴木知事や市民からの追悼の声
岩倉氏の死去を受けて、北海道の鈴木直道知事は記者会見で「豊富な政治経験のもとご助言やご指導をいただいた。
苫小牧の発展を心から願い、CCSやデータセンター誘致にも積極的だった。大変残念に思う」と述べ、深い哀悼の意を表しました。
市内でも、「親しみやすく、よく話を聞いてくれる市長だった」「市を思う気持ちが伝わってきた」といった市民の声が多く聞かれています。
長年にわたって市の顔として活躍したその存在は、多くの人々の記憶に残ることでしょう。
岩倉博文氏の経歴と政治活動
政治家としての信念と実行力を併せ持ち、苫小牧の未来を見据えて行動してきた岩倉博文氏。
ここでは、その生い立ちから市政に至るまでの歩みを振り返ります。
苫小牧出身、建設業から政界へ
1950年1月15日、北海道苫小牧市に生まれた岩倉氏は、代々続く建設業の家系に育ちました。
大学は東京都の立教大学経済学部経営学科に進学。
その後、アメリカ・アラスカ州のアンカレッジコミュニティカレッジで基礎経済学を学び、グローバルな視野を培います。
1974年に家業である岩倉組土建(現・岩倉建設)に入社。
現場経験を重ねながら取締役も務め、地域のインフラやまちづくりに直に関わるなかで、行政への関心を深めていきました。
衆議院議員を経て2006年に市長初当選
2000年には自由民主党から出馬し、衆議院議員(比例北海道ブロック)として初当選。
国政の場では1期3年の在任期間中、地域振興や中小企業支援などに携わりました。
2006年、地元・苫小牧市の市長選挙に立候補。
祖父・岩倉巻次氏(元市議・港湾整備の功労者)の意志を受け継ぐかたちで、市民からの厚い支持を得て初当選を果たします。
以降、2024年まで5期にわたり市政を担うこととなりました。
5期18年、市政の中心人物として活躍
市長としての岩倉氏は、「現場主義」と「未来志向」の両輪を掲げて、苫小牧の成長戦略を一貫して推進しました。
経済とインフラ、そして環境とデジタルといった新たな分野にも果敢に取り組み、市政60周年という節目を迎えるまで長期にわたり市民からの信頼を得続けました。
特に市政後期には、環境問題や地域デジタル化といった新時代の課題にも積極的に対応。
全国的に見ても稀有な、挑戦と継続のバランスが取れた地方行政のあり方を体現した政治家の一人と言えるでしょう。
「たくましい苫小牧」を掲げた市政の足跡
岩倉博文氏が市長として掲げたスローガンは「たくましい苫小牧」。
地域の産業力、暮らしやすさ、将来性の三本柱を支える政策を展開し、持続可能なまちづくりに尽力しました。
苫小牧港の強化とインフラ整備
市政の中核をなしたのが、港湾と交通インフラの整備です。
岩倉氏は、祖父・巻次氏が戦後に整備に尽力した苫小牧港を「日本を代表する海の玄関」と位置づけ、国際物流の拠点として再強化を図りました。
加えて、苫小牧中央インターチェンジの整備をはじめとする道央自動車道の拡充を主導し、港と内陸をつなぐ交通インフラの利便性向上を実現。これにより、企業誘致や物流効率の面で大きな追い風となりました。
産業誘致と「ものづくり都市」戦略
苫小牧の経済を支える“ものづくり産業”の育成も、岩倉市政の重点テーマでした。
市内には工業団地を整備し、自動車関連企業やバイオエタノール製造拠点などの誘致を積極的に推進。
これにより新たな雇用が生まれ、若者の地元定着にもつながりました。
市全体としての産業構造にも広がりが生まれ、景気変動に強い地域経済の土台が築かれました。
CCS技術やデータセンター誘致の先進性
近年の市政後期において特筆すべきは、脱炭素社会やDX時代に向けた先進的な取り組みです。
岩倉氏は、苫小牧を国内有数のCCS(Carbon Capture and Storage)実証拠点に選ばせることに成功し、二酸化炭素を地下に貯留する画期的な技術の導入を後押ししました。
さらに、デジタル時代の基幹インフラとも言える国内最大級のデータセンター誘致にも尽力。
寒冷な気候を生かした冷却効率の良さなど、地域の特性を活かした戦略でした。
これらの事業は、単なる技術導入にとどまらず、「地方から未来を切り拓く」という市政ビジョンの象徴でもあります。
まとめ:未来を見据えた市政とその遺産
岩倉博文元市長は、苫小牧の未来を見据えた力強いビジョンを掲げ、地域の発展に大きく貢献しました。
以下に、その主な歩みと功績を振り返ります。
- 苫小牧出身で建設業、国政を経て市長に就任(2006年)
- 苫小牧港の強化や道央自動車道整備を主導
- 自動車関連企業やバイオ施設の誘致で産業振興に尽力
- CCS実証やデータセンター誘致など先進的な都市戦略を実行
- 2023年に体調を崩し、2024年に5期18年で市長辞任
- 2025年4月18日、75歳で逝去。市民に深く愛された市政リーダー
その存在は、苫小牧の発展の礎として、これからも語り継がれるでしょう。