竹上裕子さんといえば、2024年の第50回衆議院議員総選挙に日本保守党から出馬し、初当選を果たした政治家です。
教育現場での長年の経験を活かし、異色の経歴を持つ議員として注目を集めてきました。
この記事では、
- 竹上裕子氏の保守党離党理由
- 竹上裕子氏の学歴・経歴
- 竹上裕子氏の政治家になったきっかけ
- 竹上裕子氏の夫・子供など家族情報
について解説します。
竹上裕子が日本保守党を離党

竹上裕子さんの離党に関する詳細を、時系列と背景に分けて紹介します。
離党日はいつ?
竹上裕子さんは、2025年9月19日に日本保守党へ離党届を提出しました。
これにより、当面は無所属として国会活動を続けることになりました。
初当選と党内での役職
竹上裕子さんは、2024年10月27日の第50回衆議院議員総選挙において、日本保守党の比例東海ブロック第1位として出馬し、初当選しました。
当選後は、党内の東三河支部長も務め、地元を中心に着実な支持を広げていました。
離党の理由は党運営への不満

竹上裕子さんが離党を決断した背景には、「党運営への不満」があります。
日本保守党内では、百田尚樹代表と河村たかし共同代表の間で、組織拡大の方法や党の方向性を巡り意見の対立が表面化していました。
こうした状況に対し、竹上裕子さんは強い疑問を抱き、党の在り方そのものに不信感を持つようになったとみられます。
竹上裕子の基本プロフィール

竹上裕子氏のプロフィールは以下の通りです。
- 名前:竹上 裕子(たけがみ ゆうこ)
- 生年月日:1960年3月6日
- 年齢:65歳(2025年9月現在)
- 出身地:栃木県宇都宮市
竹上裕子の学歴は?

竹上裕子氏は、1982年3月に宇都宮大学教育学部中学校教員養成課程国語科を卒業しました。
この学歴をもとに、卒業後は栃木県および愛知県の公立小中学校で、34年半にわたり国語教師として勤め上げました。

教育現場での豊富な経験は、のちの政治活動にも深く影響しています。
竹上裕子の経歴は?竹上裕子


竹上裕子氏のこれまでの経歴を、時系列で紹介します。
- 1982年4月~2020年3月:栃木県・愛知県の公立学校で教員(計34年半)
- 勤務校例:豊橋市立青陵中学校・南稜中学校・章南中学校など
- 2020年3月:定年退職し、夫の豆腐店「有限会社竹上豆腐店」を手伝う
- 2021年9月:愛知県知事リコール署名運動に参加し、政治活動を開始
- 2022年2月:愛知県議補欠選挙(豊橋市)で減税日本から出馬・初当選
- 2023年4月:愛知県議選に落選
- 2024年10月:日本保守党から衆院選に出馬し初当選
- 2025年9月19日:日本保守党を離党し、無所属で活動中
竹上裕子はなぜ政治家に?


竹上裕子氏が政治家を志したきっかけは、2021年の愛知県知事リコール署名運動でした。
この運動を通じて、行政や政治に対する問題意識を強め、減税日本の理念に共感し、政治活動をスタートさせました。
また、長年にわたり教育現場で地域と向き合ってきた経験から、地域課題を「当事者」として見てきたことも、政治への関心を高める要因となりました。
その想いから地方議員に挑戦し、さらに国政への道へと進みました。
竹上裕子の夫・子供は?
竹上裕子の夫・子どもについて見てみましょう。
竹上裕子の夫は、豆腐店経営者


竹上裕子氏の夫は、愛知県豊橋市で「有限会社竹上豆腐店」を経営しています。
この豆腐店は1913年創業の老舗で、地域に長く愛されている店舗です。
現在も営業を続けており、ホームページには自慢の豆腐や厚揚げなどの商品が紹介されています。
子供についての情報は少ない
竹上裕子氏には子供がいることは明かされていますが、人数や年齢、性別などの詳細は公開されていません。
竹上裕子のまとめ


この記事では、竹上裕子氏について解説しました。
竹上裕子氏は、教育現場と地域社会の経験を活かし、政治の世界で活躍する人物です。
この記事の内容をまとめると、以下のとおりです。
- 竹上裕子氏は2025年9月に日本保守党を離党
- 離党の理由は党運営への不満
- 学歴は宇都宮大学教育学部卒
- 教員から政治家へ転身した経歴を持つ
今後の活動にも注目が集まる竹上裕子氏。
動向を追いかけていきましょう。