家具・インテリアのトップブランド「ニトリ」。 その急成長を牽引してきたのが、創業者であり現会長の似鳥昭雄(にとり あきお)氏です。
北海道・札幌の家具店からスタートし、いまや世界1,000店舗を超えるグローバル企業へと成長させたその手腕は、多くの経営者や若者から注目を集めています。
本記事では、似鳥会長の生い立ちや経歴、独自の経営哲学、そしてニトリが成長を遂げた戦略の全貌をわかりやすくまとめました。
ニトリの裏側にある「お、ねだん以上。」の本質に迫ります。
ニトリの会長は似鳥昭雄氏
「ニトリ」の会長は、創業者の似鳥昭雄(にとり あきお)氏です。
1944年、樺太(現在のサハリン)で生まれ、戦後に北海道へ引き揚げ。
苦しい幼少期を経て、1966年に、北海学園大学経済学部を卒業。
その後、配達員や営業職などさまざまな仕事を経験したのち、1967年に札幌で「似鳥家具店」を開業。23歳という若さでの起業でした。
1972年に法人化し「株式会社ニトリ」(当初は卸センター名義)を設立。
1978年からは、社長として本格的に事業を拡大し、2014年に会長へ就任。
現在(2025年)も代表取締役会長兼CEOとして現場の意思決定を担っています。
ニトリの会長の人物像
似鳥会長の人物像に迫ります。
貧しい幼少期や学業の苦労、多くの失敗を乗り越えながら築いた経営哲学とはどのようなものだったのでしょうか。
幼少期は苦学と劣等感
似鳥昭雄氏は、第二次世界大戦終戦後、家族とともに北海道へ引き揚げて育ちました。
暮らしは非常に厳しく、家庭も経済的に困窮していたため、幼少期から「劣等感」を抱えた生活を送っていたと語っています。
また、後にADHD(注意欠陥・多動性障害)と診断され、集中力や人間関係の面で多くの困難を経験。
それでも、現場での実体験から学び、壁を乗り越えることで経営者としての土台を築いていきました。
「安さが社会貢献」信念
大学在学中、似鳥氏はヤミ米の配達やアルバイトなど、いくつもの仕事を経験しました。
その中で、「安くて良いものを提供することが、生活者を助け、社会貢献につながる」との思いを深めていきます。
この価値観は、後のニトリの企業理念「お、ねだん以上。」に直結しています。
価格競争だけではない、「生活者目線の価値提供」がニトリの根幹となったのです。
アメリカ視察で経営の原点に触れる
1972年、似鳥氏はアメリカ・ロサンゼルスでの視察研修に参加。
そこで目にしたのは、日本とは比較にならないほど整備された住宅事情、物流インフラ、家具の量販モデルでした。
「この豊かさを、日本の暮らしにも届けたい」
そう決意した似鳥氏は、帰国後にニトリの事業モデルを抜本的に見直していきます。
ここから、製造・物流・小売をすべて自社で行う「製造物流小売一貫体制(SPAモデル)」の発想が生まれたのです。
ニトリの成長戦略
ニトリがここまで成長した理由のひとつが、製造から販売までを一手に担う独自のビジネスモデルにあります。このセクションでは、ニトリの戦略的な仕組みと国内外への出店展開を解説します。
製造から販売までを自社で完結
ニトリの最大の特徴は、製造・物流・販売のすべてを自社グループ内で完結させる「製造物流小売一貫体制(SPAモデル)」です。
一般的な小売業が複数の外部業者を通して商品を仕入れるのに対し、ニトリは原材料の調達から商品の設計、生産、物流、店舗販売に至るまでを社内で統括。
この仕組みにより、中間コストを削減しながらも品質を保つことに成功。
その結果、他社では実現が難しい「低価格で高品質な商品提供」が可能となり、「お、ねだん以上。」の実現に直結しています。
地方から全国へ、ドミナント戦略で拡大
ニトリは札幌発祥の企業として、北海道において店舗網を集中的に拡大。
その後、ドミナント戦略と呼ばれる特定地域内での集中的な出店を通じて、物流や宣伝の効率を最大化しました。
1989年には札幌証券取引所に上場、2002年には東証一部(現・東証プライム)に上場を果たし、全国展開の基盤を固めていきます。
「地元密着」で信頼を得つつ、「全国区ブランド」への転換をスムーズに進めた点も、成長の要因と言えるでしょう。
グローバル展開で世界へ
ニトリは2007年、海外初進出として台湾に出店。
2013年にはアメリカ・カリフォルニア州で「AKi-Home(アキホーム)」を立ち上げ、北米市場へも挑戦を開始しました。
その後は、中国やベトナム、マレーシアなどアジア圏にも出店を拡大し、2024年には国内外あわせて1,000店舗を突破。
単なる出店数だけでなく、現地のニーズに合わせた商品展開やスタッフ教育を徹底し、「世界で通用するブランドづくり」に注力しています。
これにより、ニトリは「日本の家具量販店」から「アジア発のグローバル家具企業」へと進化を遂げつつあります。
ニトリの社会貢献活動
ビジネスの成功だけでなく、似鳥昭雄会長は教育や地域への還元にも熱心です。
このセクションでは、ニトリグループの社会貢献活動について紹介します。
奨学財団を設立し次世代を支援
似鳥会長は、私財を投じて似鳥国際奨学財団を設立しました。
東日本大震災などの被災地の若者や、日本国内・海外の留学生を対象に、学業支援として奨学金を提供しています。
この取り組みは、「教育こそが未来の礎である」という会長の強い思いの表れでもあり、ニトリの企業利益を社会全体の未来へ還元する姿勢が明確に示されています。
地元・文化への支援も積極的
地元・北海道に根ざした支援も特徴的です。
- Jリーグ「コンサドーレ札幌」への高額寄付
- 北海道交響楽団(札響)の理事就任・寄付支援
- フランス名誉総領事に就任し国際文化交流にも貢献
地域活性や文化支援にも力を注ぎ、単なる「企業人」ではなく「社会を動かすリーダー」としての顔を持っています。
ニトリの今後の展望
ニトリはすでに国内外で1,000店舗を超えましたが、これで終わりではありません。
次の目標は、“世界規模の生活提案企業”への進化です。
似鳥会長が掲げているのは、2032年までに海外3,000店舗、売上3兆円を達成する長期構想。
そのために、アジア諸国や欧米市場を含めた積極的な海外出店を継続しており、今後もローカルニーズに応じた商品開発・現地化戦略を強化する見込みです。
地方都市への出店も継続し、グローバルとローカルの両立を図る「Glocal戦略」を進化させながら、世界中の「暮らしをもっと豊かに、もっと快適に」していくというビジョンが、着実に動き始めています。
まとめ|似鳥昭雄の信念がニトリの原動力
ニトリの成功は偶然ではなく、創業者であり現会長の似鳥昭雄氏の信念と行動力によって築かれたものでした。
- 幼少期の困難や劣等感を乗り越え、「安さは社会貢献」との哲学を確立
- アメリカ視察を契機に、製造から販売までの一貫体制を導入
- 北海道から全国、そして海外へと拡大し、1,000店舗超のグローバル企業へ成長
- 教育支援や地域文化への貢献など、利益の社会還元にも積極的に取り組む
- 今後は「3,000店舗・3兆円」を掲げ、さらなるグローバル展開を目指す
“お、ねだん以上。”という言葉に込められた思いは、単なる価格の話ではなく、暮らし全体をより豊かにする挑戦そのもの。
似鳥会長の経営哲学は、これからのニトリ、そして日本企業のひとつのモデルとして、今後も注目され続けるでしょう。